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速報 8.6広島平和記念日 平和メッセージ灯篭流し
今日は8月6日、今から約3時間前、職場から歩いて十数分のところにある広島市中区の原爆ドーム近くを流れる元安川に行ってきました。原爆犠牲者らの冥福や平和への願いを込めた灯籠流しが行われていました。色々なメッセージが書かれた灯篭が、二胡の生演奏「千の風にのって」が流れる中、静かに川上に向かって流れてていきました。今日は夜が満潮なので潮の流れに乗って登っていったのです。『あなたのお陰で今の幸せがあります。』このメッセージを読んだとき、ジンとこみ上げるものがありました。色りどりのひとつ六百円の灯篭が熱...
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2008/08/06 23:34 |
「甲奴町小童 須佐神社例大祭 子供神輿,三体神輿,矢野神祇渡御」
甲奴町小童 須佐神社例大祭(ひちのぎおんさん)の第3弾です。14時が過ぎ、武塔天神・須佐神社御旅所に、須佐神社から子供神輿と三体神輿(大人神輿),矢野神祇渡御が始まりました。
*次回は第4弾、いよいよ重要文化財日本一の大神輿の登場です。
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2008/07/24 23:00 |
「甲奴町小童 須佐神社例大祭 矢野の神儀」広島県指定重要無形民族文化財
前回は須佐神社例大祭の初日の早朝、神社や奉納神楽を中心にご紹介しました。今回はいよいよ県指定重要無形文化財「矢野の神儀」のご紹介となります。矢野の神儀は、旧甲奴郡上下町(現府中市)に古くから残る民俗芸能です。上下の隣町、甲奴の須佐神社(小童の祗園さん)の祭礼に、上下町矢野の住民が一戸もれなく全員こぞって参加し、祭りに奉仕した形を残すものだそうです。上下町は、昔、石見銀山への街道で天領(天領とは江戸幕府の直轄地)であったところです。「矢野の神儀」は、もともとは上下町矢野の山伏が参加して祭りを取り仕...
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2008/07/23 08:07 |
「備後 甲奴町小童 須佐神社例大祭(ひちのぎおんさん)」備後神楽
ひちのぎおんさん 7月20日三連休の中日、1200年の伝統ある甲奴町小童(ひち)の夏祭り(祇園祭り)に行ってきました。甲奴町は、広島市より98km、広島空港より55km、三次市より29kmの距離にあります。私の自宅から車で2時間15分もかかりました。総面積は65.17km2で、そのうち約8割は林野です。備後三大祗園の一つ須佐神社例大祭(ひちのぎおんさん)が今回の紀行目的です。小童は、江戸時代には世羅郡に属した広島藩領で小童村という名前でした。明治時代の町村合併によって広定村(世羅郡)となり、昭和...
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2008/07/21 23:37 |
フィルムスキャンとPhotoshop画像加工で遊ぶ
たった数年前まではデジカメ一眼レフなんて一部のプロ用機材で、我々庶民には高値の華でした。今では数万程度で下手なフィルムカメラに負けないくらいの画像が撮れます。以前は私ももちろんフィルムでの撮影ばかりでしたので、部屋にはネガフィルムが山になっています。これが問題です。先日昔撮影したフィルムをひっぱりだしてみると、どうもネガの色合いが薄くなってしまっていました。いくら日光や湿度に注意しても自然劣化にはかないません。
今日から3連休です。以前から気になって仕方なかった、フィルムを保存する方法を、仕事...
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2008/07/19 21:36 |
「戻り橋」廣森神楽団 廣島護国神社万灯みたま祭にて 5月25日
久しぶりに、芸北神楽を観てきました。場所は、広島の護国神社です。出演は、安芸高田美土里町の廣森神楽団です。演ずるは、京都一条「戻り橋」。ストーリーと出演者は、過去のBlog「戻り橋」をご参照ください。前日の24日土曜日は大雨で、みたま祭前祭の巫女舞いは規模縮小して演じられたみたいです。変わって日曜日は午後から晴天となり、夜星空のもと、初夏の気候の中、神楽奉納が行われました。19時から神楽開演ですが、1時間半前にはお邪魔して周りを撮影しておりました。神楽が始まる前に、儀式が執り行われ、忌火を採り、...
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2008/05/27 20:09 |
創作神楽「有明」後編 石見神楽佐野神楽社中
2回に渡ってご紹介の「有明」の後半です。必ず前編からご覧ください。
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2008/05/17 07:02 |
創作神楽「有明」前編 石見神楽佐野神楽社中
佐野神楽社中さんの創作神楽「有明」です。佐賀・鍋島藩の化け猫騒動の伝説をテーマとされています。
鍋島家の家臣,小森半太夫が異国の猫を虐待したのでその猫は恨みを懐き、鍋島の殿の愛妾、お政の方を食い殺して化身しますが、伊藤惣太らに退治されます。化け猫が美女の化身から3度姿を変える変化をお楽しみください。当日焦点距離の違う3台のデジカメで撮影。撮影した画像が多く、一度では紹介しきれませんので、有明だけで2回に分けてアップします。今回はその前編です。
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2008/05/17 06:48 |
『八雲立つ出雲の神をいかに思ふ 建須佐之男を人は知らずや』足王神社奉納No5 「佐野神楽社中」鐘馗
前前前々回からの続きとなります。足王神社奉納神楽での佐野神楽社中さんの「鐘馗」です。
鐘馗(しょうき)…この神楽は、神社縁起に基づいた病魔退散、息災退散、家内安全を祈願する神楽です。須佐之男命(天照大御の弟で神疾病除けの神様として信仰)と鐘馗(謡曲から)、病に伏せる唐の玄宗皇帝の夢物語を組み合わせた石見神楽演目です。簡単にスートーリーを紹介します。
唐朝の第六代玄宗皇帝が重い病に冒されて伏せておりました。皇帝の夢の中に、病根である春夏秋冬一切の病の司である疫神が現れては帝を苦しめていました。...
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2008/05/13 23:29 |
「足王神社奉納神楽」つづき 石見神楽佐野神楽社中 No4 「岩戸」
前前々回からの続きとなります。足王神社奉納神楽での佐野神楽社中さんの「岩戸」です。
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2008/05/10 18:56 |
「足王神社奉納神楽」つづき 石見神楽佐野神楽社中 No3 「塵倫」
前々回からの続きとなります。足王神社奉納神楽での佐野神楽社中さんの「塵倫」です。またまた社中の重松様、神にてご活躍!
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2008/05/10 17:36 |
「足王神社奉納神楽」つづき 石見神楽佐野神楽社中 No2 恵比寿舞と天神
前回の続きとなります。足王神社奉納神楽での佐野神楽社中さんの恵比寿舞と天神です。七座舞(神楽面なしで舞う、清めや祓いの儀式舞)が終わりいよいよ神能(神話劇・神楽舞)に入っていきました。恵比寿では楽を、天神では神を演じられて、全ての演目でご活躍の社中員、重松様が写っております(快く画像掲載許可をいただき有難うございました)。恵比寿舞で、新しい鯛が写っていますが、この鯛は、今回浜田でお会いしたヤンチャ子様が自ら作成されたものです。大変綺麗な着色がされています(今度は1mくらいのデカイ鯛をお願いします...
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2008/05/10 10:30 |
「足王神社奉納神楽」No1 石見神楽佐野神楽社中 「塩祓」と「神迎」 (昭和の日)
石見國那賀郡 大祭天石門彦神社(おおまつりあめのいわとひこじんじゃ)にて 「足王神社奉納神楽」
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2008/05/10 07:48 |
因島白滝山と五百羅漢と・・島々の伝承 しまなみ街道石仏紀行 No2 民話『力士 白滝の石仏』
昔むかし、因島の重井という小さな漁村に若い男女がおりました。二人は相思相愛の仲で将来結婚を誓いあっておりました。若者は、村一番の力持ちでした。因島は瀬戸内海の小さな島で、古くから相撲が盛んな土地柄です。若者は3年経ったら娘を迎えに来るという約束で力士修行に上方に独りで旅立ちました。
ところが三年経っても若者が戻って来ないので、悲観した娘はとうとう冬の深浦の海に身を投げてしまいました。それから何年か経ち「白滝」という四股名で戻った若者は、娘が死んだことを聞かされ嘆き悲しみました。若者も娘を...
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2008/05/10 01:35 |
因島白滝山と五百羅漢と・・島々の伝承 しまなみ街道石仏紀行
連休最後の日に中国地方の尾道と四国今治を結んだ「しまなみ海道」を通って因島の白滝山に登ってきました。目的は、白滝山の7百体もあるといわれている石仏の写真撮影です。長くなりますが最後までおつきあいください。
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2008/05/09 05:32 |
石仏「磨崖仏」 熊野町指定文化財(史跡)ゆるぎ観音 5月2日
昨日は運動不足解消の為、夕方に思いたって、近くの500mクラスの頂上迄駆け足で登ってきました。その山は登山等の側に三十数体の磨崖仏(まがいぶつ)が彫ってあります。石仏と磨崖仏の違いは、移動ができるか自然の岩壁に彫ってあるかの違いです。大分の臼杵磨崖仏 や熊野磨崖仏 等が有名で、大分中心に奈良など全国に分布しています。中国地方の磨崖仏は、比較的年代が新しくあまり有名ではありませんが、それでも彼方此方の山々でみることができます。石仏や磨崖仏の鑑賞趣味は、子供の頃から私の叔父の影響を受けて、今日に至っ...
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2008/05/03 07:48 |
「雅楽と舞楽と管弦と、、」厳島神社元始祭の総括
雅楽の演奏形態の中に、管絃と舞楽と呼ばれる演奏があります。中国大陸から渡ってきた音楽が基盤となるものを「唐楽」(左方)、朝鮮半島を経由して渡ってきた音楽を「高麗楽」(右方)と呼びます。管絃演奏とは器楽演奏で、オーケストラ演奏(管弦楽)のことです。管絃は、管楽器と絃楽器+打楽器による合奏です。舞楽演奏というのは主に舞の伴う舞楽の演奏時の伴奏で用いる演奏のことです。唐楽には合奏曲である「管絃」と舞を伴う伴奏曲である「舞楽」の両方がありますが、高麗楽には「管絃」はなく「舞楽」のみです。
舞楽は舞を伴...
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2008/01/13 07:18 |
「舞楽」納曾利 宮島元始祭 その5
「納曾利」は、前回のその4の陵王と番舞(つがいまい)の関係にある舞曲です。番舞とは、左方(唐楽)、右方(高麗楽)の舞曲を組み合わせてひとつがいにしたものを言います。
「納曾利」は「双龍舞」ともいわれ、二匹の龍がたわむれ遊んでいる様を舞にしたものです。
前回の「陵王」の装束は、赤中心の色合いでしたが、「納曾利」の装束は紺・緑系です。
陵王」のものは胸には龍の刺繍がありましたが、「納曾利」は鳥が描かれていました。緑青色の面には銀色の目、上下二対の牙、金色の髪、髭は逆立ててあり、吊りあごになっ...
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2008/01/12 02:43 |
宮島で「舞楽」を観てきました。1月3日宮島元始祭 その4 陵王
いよいよ「陵王」の登場です。宮島といえば、陵王!この面や姿は舞楽の中でも特に有名です。某国営放送で数年前、義経の放映の際、タイトルバックで舞っていましたのでよくご存知のことと思います。
羅陵王ともいう。左方、走り舞、舞人1人・・だそうです。
中国、南北朝時代の話として、北斉に武将の高 蘭陵王 長恭(〜573年)という王がいました。長恭は才智、勇武共に勝れ、その顔は秀麗で、今で言うイケメン,ヤサ男だったようです。その為軍陣に望む時、部下が戦いをしないで、王を見ようとして全く部下の士気があがらな...
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2008/01/05 17:08 |
宮島で「舞楽」を観てきました。1月3日宮島元始祭 その3胡徳楽(ことくらく)
つぎは、「胡徳楽」です。主人と従者、客人が4人出演します。
右方楽舎より短い曲が奏されると、まず4人の客人が舞台にあがります。左方より亭主役の勧杯とその下僕で酌人の瓶子取(へいしとりと読む)が 登場します。勧杯は、襲装束に太刀を佩き、人面を象徴化した紙の雑面(ぞうめんと読む)をかぶり頭には冠を着けています。瓶子取の方は枹を脱いだ襲装束に老爺の仮面をつけ、右手に盃左手に瓶子を抱えて現れます。4人の客人は舞台に2人ずつ向かい合って座っています。客人は酔顔を表わす赤い仮面をつけています。客人達が...
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2008/01/05 04:19 |
宮島で「舞楽」を観てきました。1月3日宮島元始祭 その2 狛鉾
舞楽は前回に続き、「狛鉾」のご紹介です。狛桙は、こまぼこと読みます。高麗楽・右方舞(四人舞)だそうです。高麗の船が港に入る様を模したと伝えられるこの舞は、五色に彩色した長い棹を持って優美に舞わられます。参考文献によると、「涼やかな萌葱色の武官裲襠という装束を纏い、巻纓の冠。途中手にした棹を下に置き舞いながら位置を替わりそして元の位置に戻っていく。最後はまた棹を手にし、優美に操る。」
…この着物の色はいいですね。大好きです。
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2008/01/04 22:47 |
宮島で「舞楽」を観てきました。1月3日宮島元始祭 その1
1月3日、宮島に舞楽を撮影に行ってきました。神楽のサイトで、舞楽はないでしょう、とお叱りをうけそうですが。神への奉納つながり、ということでご容赦下さい。
厳島神社の舞楽は、平清盛が1146年安芸の守時代に、平家の守護神として厳島神社を信仰して京都文化の一つである舞楽を、大阪の四天王寺から厳島 に移して楽所を作ったのが最初だそうです。舞楽とは、聖徳太子の時代に中国・インド・朝鮮などから伝わってきた音楽と舞いです。明治期に宮中で舞楽の流儀が統一される中でも古来の特徴を保ち、現在は19曲が 残ってい...
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2008/01/04 22:23 |
謹賀新年
どんちっち鳴り止まぬリズムと
湧き上がる感動‥
日本再発見 神楽万歳!
(●画像の獅子は、山末神社(山王権現)で撮影させていただきました。)
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2008/01/01 00:46 |
「おちこちの峰を島かと見するまで 霧の海なす篁の里」小野篁‥篁山竹林寺
9月の始め、まだまだ残暑厳しい中、静かな東広島市は河内町入野の竹林寺を探索しました。万葉歌人の小野篁の誕生の地といわれています。竹林寺は、標高535メートルの篁山山頂にある真言宗の寺院で、本尊は千手観音です。本堂は国重文で、730年僧行基によって創建されました。小野篁は参議岑守の息子です。東宮学士などを経て、承和元年(834)33歳で遣唐副使に任命されました。2度出帆して難破したのち承和5年、藤原常嗣大使と軋轢を起こしてしまいました。仮病として出勤?せず、また大宰府で嵯峨上皇を中傷する歌を作った...
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2007/09/22 12:26 |