能「箙(えびら)」 源義経‘鵯越えの坂落し’ゆかりの箙の梅 伝説 名将・梶原源太の亡霊

    能「箙」




江戸時代に江戸幕府の式楽となった中で、武士達に最も好かれた能で、「箙」‘えびら’と呼びます。箙は、武士が矢を入れて携帯する容器のことで、うつぼとか、ゆぎとも呼ばれます。
能の分類としては、「二番目物」で、「修羅能になります。
この演目の作者は「世阿弥」といわれています。
能「箙」の主人公は、源平の生田の合戦で活」躍した名将・梶原源太の亡霊です。
前シテ:里人、後シテ:梶原源太の霊 となります。



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『時は春、九州から都見物のために出てきた旅の僧が、須磨の浦の生田川のほとり(兵庫県生田の古戦場)に差し掛かります。旅僧は頭巾である角帽子と、質素な水衣をまとった質素な身なりです。そこには、武士の略礼装(素襖)を着た里人がひとり、じっと梅の花を眺め佇んでおりました。旅僧はその男に梅の名とその謂れを問いかけると、男は、この梅は‘箙の梅’と名づけられており、源平の合戦の時、源氏方の若武者梶原源太景季が折から咲き誇っていた梅の花を手折って、笠印の代わりに箙にさし、めざましい活躍をしたので、箙の梅の名が残ったといいました。さらに男は話を続けて、源義経が‘鵯越えの坂落し’をここ生田の森にて決行した際に、‘一の谷’に兵を集めていた平家と対決したといいます。源範頼を大将に五万余騎が攻撃を開始した際に、梶原源太も激しい合戦に加わりました。合戦の最中、生田の梅の花を一枝手折り、矢入れの器‘箙’に梅の枝を挿し、この梅を笠印として戦の手柄を取りました。梶原源太はこの梅を神木として崇め‘箙の梅’と名付け後世に伝えた、と語りました。
旅僧は詳しく事情を知っている里人を不審がって訳を尋ねると、男は自分は梶原源太の霊だとこたえ消え去っていきました。
それを聞いた旅僧は、奇特の思いに立ち去りかね、木陰で身を潜めていたところ、箙に白梅の枝を挿した若武者姿の梶原源太の亡霊が梅の前に現れ、一の谷の激しい修羅場の苦しみの合戦の様子を激しい舞で訴えました。刀を抜き、めざましい戦い振りを思い出したかのように舞い続けましたが、夜明けとともに亡霊は冥界へと消え去ってしまいました。』


というストーリーです。
このあらすじを頭においていただき、画像を順に見ていただければ幸いです。


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この記事へのコメント

Rancho
2011年05月23日 14:01
しし様、ありがとうございます(^_^)まるで「箙」をこの目で見ているようです。
梶原源太の霊が素敵すぎます。摺り足の聞こえそうもの、飛び上がり切るもの…
面や衣装にも見とれています。風と湿度(雨)も加わって、迫力と気品は倍増。
能楽写真はしし様のように力ある方が撮るべき領域ですね。(*^.^*)
RANCHO様、SiSiです。
2011年05月23日 16:03
薪御能は撮影禁止だったのですね。折角の夜の帳の中で薪のオレンジ色が照らす能面が拝見出来ず、ホント残念です。

いつもご来場いただいた上、暖かいコメント頂戴しありがとうございます。
イベントの写真は、そこに行けなかった方に、その場の臨場感なり風や温度が少しでも伝われば、という気持ちで撮影しております。
箙の舞いですが、この時、曇ってはおりましたが、雨ではありませんでした。風も無風状態で、衣や髪が流れて写っていますのは、舞い手が非常に激しい舞いを舞った際に自然に生じたものです。神楽写真もそうですが、衣装などに動きがある写真は迫力がでますね。跳びはねたところも見逃さずにおります。いつ飛ぶかわからないので、ファインダーとシャッターから眼が離せないですね。一演目が終わるころには体力的にもクタクタです。

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