紅葉に輝る「備中松山城」散策No1 高梁市 頼久寺(小堀遠州)~石火矢町 武家屋敷通り

倉敷に出張、その帰り、高速を使用し、備中国の真ん中、「高梁市」まで足を伸ばしました。
二回にわたって史跡を中心にご紹介します。

高梁は自身4度目です。高梁には’備中松山城’という、現存する
山城では最も標高の高いところに天守閣があることで有名です。
山陰と山陽、近畿と中国地方の要で、町の前に高梁川が流れ水陸
の交通の要所になっていることから、この城は古くから重要な戦略
的な拠点ということで数々の歴史を重ねています。
城は、老いた牛が地面に腹這いになって前の草を噛んでいる姿に
似ている臥牛山の頂上(430m)に立っています。
その姿から老牛伏草山(ろうぎゅうふくそうざん)と呼ばれています。
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臥牛山に初めて城が築かれたのは、鎌倉幕府の時代に遡ります。
その後、中世戦国時代には、毛利氏の中国支配の備中の拠点とし
て重要な位置づけの城となりました。
城は、兵庫の上月城に籠る尼子勝久を擁した山中鹿之助を攻め滅
ぼす為の、毛利軍の拠点となり、毛利軍はこの城から出兵しました。
大軍に攻められ降伏した鹿之助は、この城に護送される途中、川の
中洲’阿部の渡し’で、毛利の兵に惨殺されたのは有名なお話しです。
(阿部の渡しには鹿之助の碑がたっています)
鹿之助の兜には、鹿と三日月の飾りがあり、願はくは我に七難八
苦を与え給えと、尼子再興を三日月に祈ったという逸話も有名ですね。
関ヶ原の戦い後、毛利が萩に去ったのちも、多くの城主が入れ替わ
りました。
徳川幕府の時代になって、藩主・水谷勝美の代で世継ぎ問題により、
城を受け渡す際、城の受け渡しには、赤穂藩主・浅野長矩が任ぜら
れています。そうです、あの忠臣蔵の浅野さんです。しかも城代家老
として、この城には、大石内蔵助が入り、次の城主を待った…という
史実があるのです。あの大石内蔵助が約1年半住んでいた城が、
当時のまま(実は外観は何度か修復)残っているなんて、なんてロマン
なのでしょう。

それだけに、この城を訪れる観光客は後を絶たず、週末は、環境保
全の為、一合目からは指定のバスしか上がれなくなっています。
平日はマイカーで5合目くらいまでは上がれますが、駐車場からは
約20分の急な登り坂が待っています。私はこれまで中国地方の毛利
ゆかりの山城はほとんど制覇してきていますので、急な道といっても、
まだまだ他に、日山城とか、険しい山城は他にもいくつかありますが。

いずれにしても、出張帰りに訪れた今回は、日も東の空に落ちかかり、
城内に入ることは、入口の城の番人に許されず、夕闇迫る前に、駆け
足で、城の外観を撮影してまわることで上げていただく事にしました。

実は、4度目になりますが、これまではフィルムカメラの時代で、デジ
カメはそのころ存在せず、Blogでご紹介できなかった経緯があります。
したがって、今回が初めてのデジカメ撮影となりました。
(ちょうど前回は、崩れかかった城壁を修復中で、いい写真が残らな
かった記憶があります)

駐車場着は16時過ぎ、番人に、城の中は16時半までよ、と言われながら
急いで、登山口をめざしました。すでに日も暮れかかっているので、
周りには観光客の姿はありません。そうそう、この山には、野猿が多く
住んでいて、時々お菓子などを狙って人に飛びつくことがあるそうです。
特に子供は猿も弱いということをよく知っていて、襲われることがある
そうです。
城までの登山道は、こんもりと紅葉などの落葉樹が生い茂っています
が、駐車場から数百mくらいから左右の木々が、ときどきザザッと音が
します。
よくみると、子ザルがこちらを覗いています。子ザルは臆病で、カメラを
構えると木々の枝を伝って、山の奥に逃げ去ります。中には親猿がい
て、岩の上からこちらを伺っています。1対nですので、少々気持ち的
にはビビリが入っているのは言うまでもありません。
仕事着のスーツ姿で、革靴のため、急いで上がりたくても、靴底が固く、
思い通りになりません。途中、冷や汗もあってか、暑くなり上着を脱ぎ
ながら赤く染まった紅葉の林を駆け抜けました。

ようやく見えてきました。これが、「国指定重要文化財備中松山城」です。
以前来たときより、随分と頂上は整備され、立派なトイレも城の雰囲気を
壊さないデザインで建っていました。城の白壁も随分と美しくなってい
ます。
城の天守閣の頭が見えるころ、野生の日本猿の親分に出会いました。
メスを引き連れています。やはり親分だけあって、数mの近くまで近づ
き、カメラを構えても我関せずの雰囲気で、遠くを眺めています。
傍のメスの方がこちらを威嚇してきます。ボスを怒らせると怖いので、何
枚か写させていただき礼を言って、天守閣に向かいました。

時刻は既に閉館時間の四時半過ぎ、猿除けの電線を番人が門に引か
れていました。城内は今回撮影はできませんでした。以前の記憶では、
この城比較的広い窓が多く、中は明るい感じでした。たぶん二階建てで、
城主が座る部屋があったように思います。
思ったより場内は狭いですが、まあ、この城は有事の際のみ入り、平素は
山のふもとの、御根小屋といわれるところで城主や武士たちは生活して
いましたので、砦的な役割りの典型的な山城で、当時はこれでよかった
のかもしれません。
写真でも紹介していますが、御根小屋の前に、武家屋敷の町並みが形
成されていました。御根小屋跡は現在県立高梁高等学校が立って
います。石垣や庭の上に学校が建てられ、全体が県の史跡に指定され
ています。こんな環境で歴史を学べる学生が羨ましいデスね。

本日の日の入りは5時過ぎです。急いで城郭を撮影し、美しく染まった
紅葉を愛でながら、歴史ロマン溢れる山城を後にしました。先ほどの
ボスは、木の上で眠る準備をしているようでした。
駐車場に戻るくらいには、既に周りの山々もとっぷり日が暮れていました。


ここは、岡山の山の中です。ここから最寄りの高速道の入口までも、
随分と距離があります。明日も仕事です。急いで岐路につくことに
します。ここからだと、4時間くらいかかります。


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城下町からご紹介

頼久禅寺

創建年不詳(1339年再興) 小堀遠州が関ヶ原ののちに移封されてきた際、本来の住まいである御根小屋が戦火で荒廃していたため、この寺を仮住まいとしました。その為、外観は城の構えのようです。小堀遠州は名庭を今に残しています。

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小堀遠州公(幼いころから茶道を極め、築庭や城作りの才能もあった。備中松山城の再興や名古屋城築城も手掛けた。

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石火矢町 武家屋敷通り

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臥牛山の頂上(430m)備中松山城を目指します。
中腹の駐車場へは、本日が平日の為車で行くことができます。週末はここまでバスに乗らされます。
ここから山頂へは、徒歩で約20分。野生の猿にビクビクしながら、急な登り坂を天守閣を目指します。

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      天守閣は、次回ご紹介ということで、お楽しみに…







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この記事へのコメント

Rancho
2013年12月09日 03:51
ししさま、おじゃまします(*^-^*)

ししさま、お寒さ厳しいですが、いかがお過ごしでしょうか?
いつも素敵な充実の旅をなさいますししさま
わたくしもどこかに出かけたいとは思いながら、寒くて^^;;なかなか二の足を踏んでしまう今日この頃です。
ししさまのように歴史も他色々もお詳しいと、よけいに楽しめる部分が多いのでしょうね☆
きれいで情緒の有るところで、やっぱり日本って美しいなって感じます。

話はぶれますが…
そちら広島は、お魚が超おいしい季節なのでしょうか?
海も寒くなるとうつくしいのかしらと、想像しています。

そしてそして!!^^バイクがめっちゃ!かっこいいんですけれど☆
わたしも男性だったら、そして全ての条件が整いゆるされるなら、やってみたかったです。ほんと!男らしいわ!ししさま^^かっこいい~~~~~~ですよ☆
なんだかバイクと対話されて格闘なさっていると時も楽しそうだし、出来上がってっから乗られるのもかっこいいし☆こちらも最高のご趣味野ひとつですね。
Ranchoさま、SiSiです。
2013年12月09日 09:20
いつもご来場いただきコメントまで残していただき有り難うございます。
先週末、浅野藩の宗家があった三次市の鳳源寺というところで開催の’義士祭’を撮影してきましたよ。このお寺には、赤穂義士大石良雄(内蔵助)手植えの桜が残っています。大石さんは、浅野長治の娘の阿久利姫(瑤泉院)が赤穂藩藩主浅野長矩の夫人として輿入れの際、訪れています。赤穂藩主浅野長矩は、ご存知、元禄赤穂事件で知られていますが、広島の浅野家は赤穂の宗家になります。
先般は、大石内蔵助が城の明け渡しの際、1年くらい過ごした備中松山城に立ち寄りました。内蔵助さんの足跡を追って楽しんでいるようです。色々史跡を訪ね、当時の方々の想いに耽るって、素敵ですね。
Rancho様
2013年12月09日 17:37
先ほどから広島は雨になりました。
ご質問の、広島のお魚の件、書き忘れておりました。
晩秋の頃は、カレーが釣れだします。回遊魚ではカタクチ鰯。これは小さいので、頭を丸ごと落とし、てんぷらにします。酒の肴に最高です。
根魚の代表は、これからメバルがいいですね。メバルを釣りに行って、
岩場の多い海底を探っていて食いつくのがカサゴ、ソイの一族です。
メバルの身は少々水っぽい感じですが、カサゴの身は固くあっさり系です。
広島で特に多いのは、チヌ(正式には黒鯛)です。専門で釣りをやっている方も多いです。
などなど、広島は美味しい近海魚の宝庫ですよ。
Rancho
2013年12月10日 12:16
魚釣りをされる方は数倍楽しそうですね☆
定年後、家族と行ってみたいです。

奈良もただいま雨が降っております。
お仕事がんばって下さいませ

しし様、ありがとうございました。

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