安芸.石見地方神楽紀行
因島白滝山と五百羅漢と・・島々の伝承 しまなみ街道石仏紀行
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作成日時 : 2008/05/09 05:32
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連休最後の日に中国地方の尾道と四国今治を結んだ「しまなみ海道」を通って因島の白滝山に登ってきました。目的は、白滝山の7百体もあるといわれている石仏の写真撮影です。長くなりますが最後までおつきあいください。
尾道からしまなみ海道を四国に向かって走ると、新尾道大橋です。そこは「俺たちのヤマト」の実物大の映画セットがあった向島です。最初の大橋を通過し、2番目の橋が因島大橋です。因島大橋を渡り終え、左手の大浜パーキングを過ぎると、真正面に小高い丘が見えます。これが今回の撮影場所、因島白滝山です。しまなみは、因島北インターでおります。今、しまなみは社会実験が行われており、ETCで通過した場合、休日の昼間は通常料金の2割引きで利用できます。因みに尾道からは730円でした。因島はもとは因島市でしたが、合併し尾道市となり市は消滅しました。因島市出身の有名人としては、古くは、本因坊秀策(囲碁の棋士)、新しくは 東ちづる(女優)、ポルノグラフィティ らがいます。名所・旧跡としては、 ・白滝山・五百羅漢・広島県立因島フラワーセンター・水軍城・因島史料館などが有名です。水軍城という城が観光地になっていますが、因島は、かつては戦国時代に活躍した村上水軍(海賊)の砦の島そのものでした。島には今でも沢山の史跡が残っています。今回の白滝山も村上水軍の出城の一つであったといわれています。村上氏は、頂上に観音堂をつくりました。村上水軍が活躍した合戦として、1555年の厳島合戦・1561年の豊前簑島合戦1576年の第一次木津川口の戦い などが知られています。厳島の合戦は、毛利元就にお願いされて、大軍を厳島に渡して毛利が陶一軍を滅ぼした中国地方天下分け目の戦いですからよくご存知と思います。元就はその時村上水軍が来なかったら、「その時・・」時代が変わっていたかもしれません。
さて、白滝山へは、因島フラワーセンターから歩いて登ることもできますが、今回は車で近くまで行き、残りを歩くというパターンをとりました。何しろ、雲ひとつない初夏の天候で、太陽が容赦なく降りそそいでおりましたので、今ひとつ全て歩くという根性がありませんでした。車で上がり、駐車場からほんの3分程度で中腹の広場にでました。この広場が「伝六さん」です。伝六さんの「墓所」と呼ばれ、1828年(文政11年)3月15日48歳で没し、死後半年後に建立された一観・柏原伝六の像があります。地元では親しみを込めて、伝六さんとか一観さんとも呼んでいるみたいです。
ここで少し、白滝山と伝六さんと石仏の歴史に触れたいと思います。
白滝山のふもと重井村に面した白滝山西側の山腹から頂上へかけて、多くの石仏を安置し、この山を宗教的霊場とすべく決意したのは因島重井の柏原伝六でした。伝六さんは、40歳のはじめ頃文政年間に神道・仏教・キリスト教・儒教の教えを一つに融合した新興宗教 「一観教」を編み出しました。最盛期には因島に数千人余の信者を集めました。伝六さんは尾道の石工などを呼び寄せこの白滝山に石像作りを依頼しました。伝六さんの運動に共感した、柏原林蔵等の弟子が3年余りの歳月をかけて五百羅漢を完成させました。このことが、本土や瀬戸内の島々に伝聞され、大勢の参拝者が押し掛けました。柏原林蔵は、伝六さんから依頼を受けた後、61歳から64歳山に籠もって石仏作りに専念し、一度も里に下りなかったと子孫の方が新聞で語っておられました。余談ですが、因島は、今でも村上姓と柏原姓が多いようです。
地元の伝承をご紹介します。伝六さんの広めた新興宗教 「一観教」を、怖れた幕府(当時は浅野藩もしくは広島藩)が、伝六さんを捕まえ、尋問しましたが、整然とした伝六さんの申し開きに、仕方なく釈放しました。ところが藩の政治に悪影響を与える団体の経営者という判断で、藩が冠者(忍者)を放ち、伝六さんを毒殺した、という言い伝えが残っています。地元の言い伝えですから事実とは異なっているかもしれません。衛生状態の悪い当時、食べ合わせの食中りでも命を落としていましたから。河豚の毒にやられた可能性もあります。藩が当時ご禁制であったキリシタンの疑いを伝六にかけて謀殺したのだとか、色々な噂が残っています。(石仏には十字架を彫ったのが3体ほどありました)その真偽は兎も角、伝六さんの一観教創始の時代背景には、 キリシタン弾圧に加えて反幕府勢力の動きが始まっており、一観教という庶民信仰に対し、当時の権力が猜疑心(疑心暗鬼)を持ったとしても不思議ではありませんね。このあたりの考察は、専門家に任すとして、
白滝山の石仏は、竹成大日堂五百羅漢(三重県)と同じ江戸時代末期の五百羅漢と合わせて全国的にはよく知られています。白滝山五百羅漢も竹成大日堂五百羅漢と同じく、羅漢だけでなく非常にバラエティーに富んだ石仏,磨崖仏が沢山あります。特に白滝山の石仏は、神道・仏教・キリスト教を集合した「一観教」と言う新興宗教を背景にした自由奔放な石像表現に特徴があるようです(一部表現はパンフレットより引用)。いずれにしても『仏像図彙』などを参考にして彫られた、儀軌*にのっとってつくられたものでないようなので、大変面白い石像を数多くみることができます。 私の撮影した画像に特徴あるものを掲載していますからご参照いただければと思います。*「儀軌(ぎき)」とは、仏像を制作する際に守らなければならない約束事のことです。
さて、話を戻しますが(司馬遼太郎みたい)、
伝六さん広場をさらに上に登ると、 仁王門(山門)があります。石で作られた阿吽の2対の仁王さんの立つ門をくぐると、石段になります。この仁王像は素朴で力強く、近年の作です。
とても気持ちよく整備された石段を上がると、参道の両側に三体ずつお地蔵さんが建っています。これが六地蔵です。赤いよだれかけがしてありました。少し登ると右手真っ直ぐと左手に登山道は分かれます。どちらを登ってもよいのですが、登りは右手真っ直ぐを,帰りは左手の道を降りるのがいいよと箒を持った地元の方が教えてくれました。仁王門から標高 227mの山頂まで約20分で山頂の観音堂に到着です。私は、参道の石仏を撮影しながら登りましたから、若い方であれば10数分で登れる距離です。途中の岩肌に慈母観音磨崖仏が姿を見せここでも何枚か撮影しました。ここの石仏は全般的に九州の国東半島の石仏よりも彫りが浅く表情の変化に乏しい感じ。 石の種類がこのあたりでとれるレギュラーな花崗岩だからかなあ、と思いました。花崗岩は加工はしやすいのですが、粒子が荒くもろい岩石です。硬い石ではないので、いずれにかは風化してしまうでしょう。またまた余談でした。
少し先の急な石段を登り切るといよいよ山門です。山門をくぐると、正面に観音堂、右に羅漢像・四国札所本尊像・阿弥陀三尊像・釈迦三尊像などがところ狭しと並んでいます。頂上の尾根道を登ると端に、立派な鐘楼(二代目)と展望台があり、瀬戸内に浮かぶ島々やしまなみ海道(因島大橋)の眺望は大変素晴らしいの一言です。くまん蜂数匹がずっと撮影しているところに邪魔しにきて困りながら石仏一体毎に撮影しておりますと、私に声をかけてくださった方がいました。聞けば当山の管理人(堂守さん)の方です。 その方はわざわざ、観音堂の中を明けて本尊の観音像を拝見させていただいた上に、自然石に十字架を刻んだ観音磨崖仏や烏天狗像や10体の像を刻みその上に多宝塔が乗った大変珍しい石仏等を案内いただき説明していただきました。 ここで石に関するある悲しいロマンのむかし話しもお聞きすることができました(このお話をここでご紹介するとまたまた長くなりますので次回ということで)。
●柏原伝六の墓
●天狗仏
●観音堂裏手からしまなみ海道因島大橋(向島方面)を望む。
続きは、次回・・・。
●地図
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