龍馬ゆかりの地 『鞆の浦』紀行 鞆シリーズNo.6(最終) 備後安国寺

シリーズ6まできました龍馬ゆかりの地、ポニョ誕生の地、鞆の浦紀行。今回が最終となりました。足利幕府再興の備後安国寺を訪れた後、鞆とお別れし、ここから数キロ、わが国で5番目に古い国宝五重塔のある明王院に向かいます。(次回)



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●備後安国寺について
・1273年 無本覚心(法燈国師)を開山として創建
・1339年 足利尊氏による再興
・室町時代寺号を「安国寺」と改める。足利幕府の衰退とともに寺も荒廃
・安土桃山時代 毛利輝元、’安国寺恵瓊’による再興

安国寺 恵瓊(あんこくじ えけい)は、戦国時代の禅僧で大名にまでのぼりつめました。生まれは、甲斐の武田から分家した安芸武田氏の系統(末裔)です。安芸の守護武田家は瀬戸内進出を狙った毛利元就に攻め滅ぼされました。その際、不動院(安芸安国寺)にのがれ出家しました。その後僧侶として東福寺、南禅寺の住持にもなり、建仁寺も再興し、禅僧の最高の位につきました。滅ぼされた毛利元就の孫、輝元の外交僧として毛利方に組みし、秀吉に大変重宝がられ、朝鮮出兵にも大名として出兵し、秀吉亡き後1600年の関ヶ原の戦いでは親しかった石田三成に加担し、腰が重かった本家毛利輝元を西軍の大将に担ぎ上げた人物です。結果西軍が敗れ、家康に最後は京六条河原にて三成や小西行長といっしょにさらし首となりました。信長が天下をとった際に、信長政権の早い時期の転落と、代わって秀吉が天下人となる予言した人物です。中国地方の雄、毛利家は良くも悪くも、この恵瓊によって運命を動かされた感じです。





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                           ●龍馬さん、また会いにきます。

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