『伊勢神宮』をお参りして 志摩・浜島温泉から→ 志摩・大王埼灯台へ  伊勢紀行No3 

伊勢神宮参拝を済ませ、伊勢から宿の志摩・浜島温泉で一夜をあかしました。
露店風呂でみた、オリオン座が忘れられません。
日の出とともに、宿の前の海岸では、数席のアワビや伊勢エビ漁の小舟がでていました。
きょうもいい天気。宿を早々に引き払い、今日は志摩や鳥羽を巡ってみます。
まずは、絵かきの町として有名になった、大王岬・大王崎灯台のご紹介です。
ここで、たくさんの干物をお土産に購入しました。


画像


--------------------------------------------------------------------------------------------
画像
宿からの志摩・浜島

画像


画像


画像


画像
画像
捕ったド~!

画像


--------------------------------------------------------------------------------------------
志摩・大王埼灯台へ
画像


画像

200円支払って、灯台の天辺へ。だんだん細くなる螺旋階段をエッサエッサ登っていきます。

画像

画像
画像
画像
画像
画像
画像
画像
画像
画像
訪れた日は、浜に総出で、打ち上げられたゴミを掃除されていました。志摩での海女の解禁はもうすぐです。

画像


画像
画像
画像
画像
画像
画像
命がけの磯釣り(当方も若いころよくやったものです)
画像


画像
ここで、ちょっと休憩。美味しいサザエさんでした。
画像


画像

九鬼氏の城跡ですね。九鬼は、戦国時代、信長側にあって、毛利の村上、小早川水軍と戦った海賊(水軍)です。最初は毛利に大敗をくらいましたが、その後信長から命じられ鉄の船と大砲で、毛利軍を打ち負かせました。その九鬼さんの最初のお城跡です。九鬼氏は信長没後、秀吉につき、朝鮮へ出兵していますね。
Wikipediaより
『九鬼 嘉隆(くき よしたか)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。九鬼水軍を率いた水軍武将であり、九鬼氏の第8代当主である。志摩の国衆の一員として身を起こし、織田信長や豊臣秀吉のお抱え水軍として活躍し、3万5,000石の禄を得た。こうした経歴とその勢威から、江戸時代には軍記物などで海賊大名の異称をとった。後に関ヶ原の戦いで西軍に与し、敗れて自害した。』
『嘉隆は、天文11年(1542年)、志摩国英虞郡の九鬼泰隆の持ち城である波切城(三重県志摩市大王町波切)で、九鬼定隆(泰隆の嫡男)の三男として生まれる。』
『天正4年(1576年)、石山本願寺側についた毛利水軍600隻に対し、嘉隆は300隻の船を率い摂津木津川沖で戦ったものの多くの船を焼かれて大敗を喫した(第一次木津川口の戦い)。この敗戦に激怒した信長は、嘉隆に対して燃えない船を造るように命じた。この時に嘉隆が辿り着いた答えが、船に鉄を貼った鉄甲船の建造であった。鉄甲船の建造には莫大な資金が必要であったものの、信長がこの案に理解を示し、できる限りの手配りをしたおかげで伊勢浦の大船と呼ばれた鉄甲船が完成した。』以上、Wikipediaより。

画像

画像
画像


画像
画像
画像


--
灯台の下の漁村(集落)にて
ここは、絵描きの町として、何年か前にテレビ放送をされていたことを思い出しました。
小魚の一夜干し…当方も数種類ほど購入し、今でも味醂干しは、酒の肴になっています。

画像
画像
画像
画像
画像
画像
画像
これは美味し!
画像

画像
画像

画像


画像
旨そうな伊勢エビじゃネ

画像
画像
画像




この記事へのコメント

この記事へのトラックバック