当サイトは、安芸国賀茂郡(東広島西条)に伝わる源頼政の側室、菖蒲御前(あやめの前)の伝説地写真紀行の本文のサブサイトです。 参考までに本文のURLは、 http://hiroshimakagura.at.webry.info/201705/article_1.html あやめの前の息子、二神山城主水戸新四朗が勧請・勧誘の 「氏神社」 氏神社は、あやめの前の息子の水戸新四朗が1197年に勧請した、東広島市の広島大学から少しの静かで緑や水が豊かな場所にあります。神社前は冬場は凍る池があり、側の参道は並木道となっています。鳥居正面には立派で珍しい随身門(随身の横に4段ほどの階段があり階段の先には小部屋があった)がみえます。平素は無人のようです。 神社の由緒(板碑による)は、 「当神社は人皇第八十二代後鳥羽天皇建久八年(1197)下見村城主水戸新四郎頼興が勧請したといわれ、 元は御薗宇村・下見村二ヶ村の氏神であったが安政元年から御薗宇一ヶ村の氏神となった。 昭和二十一年宗教法人氏神社となり現在の氏子が崇敬維持している。」とあります。 ↑「随身門」このあたりでは大変珍しい建物です。中に右大臣、左大臣の像がみえます。 ↑ここにも水戸新四郎の名を読み取ることができます。 整然とした、美しい神社…という感想です。 メインストーリーに返るURL http://hiroshimakagura.at.webry.info/201705/article_1.html |
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