青柴垣神事(古事記,事代主神) 美保関・美保神社例大祭紀行 序説

古事記国譲りゆかりの美保神社(松江)特殊神事「青柴垣神事」紀行

                      序説

4月7日、高速松江道を走って、松江の美保関に鎮座する美保神社を訪ねました。当日は、年に一度の例大祭の日にあたり、『青柴垣』という珍しい特殊神事が行われます。
青柴垣…は、古事記の国譲りに表現されており、美保神社で毎年神事として長く伝えられています。

画像

                       青柴垣神事


美保神社は、美保湾に面した西側の高台に鎮座しており、出雲国風土記の「美保社」とされ、事代主神とその母神である三穂津姫命の二神を祀っています。コトシロヌシは七福神の「恵比須さん」として親しまれ信仰を集めています。恵比須さんは鳴物が好きという言伝えがあり、笛や鼓、三味線、オルゴールなどが奉納されています。松江松平藩の藩主直政が寄進した江戸時代の大鼓が今も鳴り響いています。

画像

                    美保神社
画像

画像

画像

画像



ここからは、
古事記「国譲り」における、事代主青柴垣の神話が伝承される背景と青柴垣神事の内容を、ご紹介していきたいと思います。

古事記については、工学系電子系であった私の人生において、全くといってよいほど縁が無く(興味が無かった)、石見地方や出雲の神楽演目程度の知識しか持ちあわせていませんでした。そこで、改めて「古事記」なるものの現代意訳の図書を買い漁り、あるいは町の図書館で多くの文献を読み漁りました。
特殊神事の紀行のご紹介にあたって、俄知識として頭に入れた古事記の、特に国譲りの概要を少しご紹介したいと思います。

尚、表示させていただいております、神々のお名前は、日本書記のように同一神が異なった漢字で表記されているものもありますので、あえてカタカナ表示させていただきました。ご容赦ください。


◆古事記とは


680年頃の天武天皇の時代、天皇は朝廷などの諸家に伝わる説話や物語りに曖昧な面が多く、統一感がないとして再編を指示しました。それを記憶力の優れた稗田阿礼に暗唱させました。天武天皇亡きあと、元明天皇は太安万侶に命じ、稗田阿礼からの口述を筆録させました。こうして奈良時代初期に完成したのが、記紀(日本書記と合わせて)と呼ばれる歴史書です。
古事記は、上中下の三巻からなり、上巻は高天ヶ原や天孫降臨の神話など’神’を素材にした神話風のもの、中巻は神とヒトとのかかわりのこと、下巻は五世紀頃の’王’や、上巻の神の末裔としての天皇のこと等主に近畿地方を舞台に、ヒトとヒトとの争い、ドラマについて記述されています。
今回私の旅に関連深い、青柴垣物語りが書かれた上巻について主に触れます。この上巻は大きくは四つの章に分類されています。一つ目は、高天ヶ原のいざなぎ・いざなみの神話、二つ目は、高天ヶ原におけるアマテラスとスサノオの対決とスサノオの追放について、三つ目は出雲神話が中心の物語りで、因幡の白兎や八岐大蛇、天の岩戸といった神楽で御馴染の演目のベースになっています。四つ目は、天孫降臨の神話で、最後は神の末裔の第一代の天皇を誕生させておわります。

画像

                        アマテラス天の岩戸



◆大国主オオクニヌシの国造り

高天ヶ原の太陽神アマテラスの弟である暴れん坊のスサノオは、高天ヶ原を追われ地上世界に降ってきました。出雲の斐伊川の上流に辿りつきますが、そこでアシナズチに出あい、八岐大蛇のことを聞きます。スサノオは大蛇を退治し、献上予定であったアシナズチの娘を救いだします。スサノオは助けた娘クシナダヒメを嫁にとります。これがご存知「八岐大蛇伝説」です。追放されてきたスサノオは大蛇退治により出雲の地で英雄として生まれ変わり、地上世界に根をおろし、地上の民に崇拝されていきました。
画像

画像

画像

                スサノオの八岐大蛇退治


さて、スサノオの六代目の子孫にあたるオオナムジは、兄弟(八十神)で競い合っていたヤガミヒメに求婚すべく兄弟そろって姫の里因幡に出かけます。旅の途中、オオナムジは因幡の浜(白兎海岸)で、ワニに丸裸にされた哀れな白兎と出会い、蒲の花粉で兎の傷を治し命を救ってやりました。

画像

画像



これをみていたヤガミヒメは、八十神の中からオオナムジを恋愛対象に選びました。これを疎んだ八十神からオオナムジは命を狙われ、追われて紀伊ノ國に逃れ、更に堅州国に逃れますが、次々に出現する困難や試練を地元の神がみに助けられながら乗り越えていきます。これをみたスサノオは、オオナムジが試練を乗り越えた強い神と認め、地上の最高の神であるオオクニヌシ(大国主神)の名を授け、地上世界を委ねます。その際、スサノオの娘スセリビメを正妻として娶るよう命じています。
画像


オオナムジことオオクニヌシは、スサノオの命により、国造りに着手します。国造りにあたって、土着の神々が武力で暴威を振るっていた中で、オオクニヌシはつぎつぎと各地の女神と関係をもって、その地を平定し、国土の拡大を図る戦術を実行します。各地の女神を娶った中で、今回の紀行の本題にあたる’国譲り’伝説の後のキーマンにあたるコトシロヌシが誕生しています。
画像


各地で女神に手をつけるオオクニヌシの行動を嫌った正妻スセリビメや、八十神から苦心の末に奪いとったヤガミヒメもこれに嫉妬し、ヤガミヒメは因幡の国に帰ってしまいました。ともあれ、オオクニヌシは文字通り、大国主として、地上世界(葦原中国・出雲地方のこと)の領土を拡大していきました。


◆オオクニヌシの国譲り

高天ヶ原のアマテラスは、自身の御子が地上の国を一つに平定すべきと定め、神々を集め意見を求めました。現在地上を治めているオオクニヌシはアマテラスの弟スサノオの子孫ではありますが、高天ヶ原の直系ではありません。地上は直系が治めるべきと、オオクニヌシから国を取り上げるよう命じたわけです。これは何を意味するのかというと、高天ヶ原の神々、即ち大和中央政権がオオクニヌシによって拡大した出雲国を支配下に置こうとするということでしょう。 

そうして最初に派遣されたのがアメノホヒという神です。ところがアメノホヒは、オオクニヌシを説得するどころか、出雲に住み着いてしまい、居所が良かったのか3年経っても報告を返しませんでした(アメノホヒは出雲大社の宮司さんとして今に伝わっています)。
困った高天ヶ原の神がみは、次にアメノワカヒコを状況確認に遣わせました。ところが、この神も、オオクニヌシの娘シタテルを妻に娶って戻ってきません。結局アメノワカヒコも8年もの間、報告せず月日が経ちました。高天ヶ原の神がみは次にキジのナキメという神を遣わすのですが、このキジのナキメの派遣がもとで天上から地上にはなった矢が原因して前出しのアメワカヒコが矢で死んだり、数々のエピソードが生まれています。

三度の派遣に失敗したアマテラスは、高天ヶ原の最強の武力神であるタケミカヅチを使者にたて、オオクニヌシに国譲りを迫ります。出雲の稲佐の浜、オオクニヌシの前に武神タケミカヅチが現れました。

画像


使者タケミカヅチは、浜に剣を逆さに刺し、刃先に胡坐をかきました。オオクニヌシに向かって、地上の国は高天ヶ原の直系御子が治めることになったので、国を譲れと言いました。「この国を皇孫に奉れ」…と。

オオクニヌシは、「出雲の国の祭事は私の長男のコトシロヌシ(事代主命)が行っているので、息子の意見を聞いてからお答えします」と返事しました。タケミカヅチは、折から鯛を釣りに行っている美保の関に天鳥船で使者を遣わし、意見を求めました。古事記には、コトシロヌシが漁をする様子を「「鳥の遊,取魚の為に御大之前に往きて」と記載があります。

(参考:『日本書紀』では「釣魚をするを以て楽とす、或いは曰く、鳥遊するを楽とす」と描かれています。)
画像

                     コトシロヌシ


御大之前が今の美保神社の飛び地にあたる美保湾の沖の御前のことだといわれています。4月、5月は美保の関の近くに藻が発生し、そこにつくエビをめがけて、鯛が寄ってきます。エビを餌にした鯛は赤みを帯びます。コトシロヌシはそこに鯛釣りに出かけていたようです。
画像



釣りをしていたコトシロヌシは父オオクニヌシに「この国は天つ神の御子に奉り給へ」と返事し(怖かったので、多分しぶしぶ)、国の献上を認めました。その後コトシロヌシは、天の逆手(呪いの四拍子か)を打って、乗っていた釣り船を足で踏み転覆させ、海中に’青い柴垣’を作って、その中に籠って隠れてしまいました。一部では武神タケミカヅチや高天ヶ原に対する無言の抵抗だったのではないかと解釈されています。
画像

画像

                     コトシロヌシ 天の逆手

このコトシロヌシは七福神の一人、恵比寿様として美保の関の美保神社に祀られている神です。赤い鯛を釣って担いでいる恵比寿様は誰もがご存じの事と思います。神楽や文楽の演目で、目出度い舞いとして演じられています。

ただし、恵比寿(戎)さまは、イザナキとイザナミの最初の子であるヒルコの神(水蛭子)であるとして、兵庫の西宮神社ほかで信仰されています。このあたりの事情は、当方知識を持っていません。
I entrust it to a well-informed person


一方、国譲りに反対のオオクニヌシの子、タケミナカタが稲佐の浜にやってきて、
画像

画像
                  稲佐の浜

使者の武神タケミカヅチに戦いを挑みます。しかしながらいとも簡単ににぎり潰されて負け去ってしまいました。
画像

                 出雲神楽深野神楽保存会「国譲」

タケミナカタは敗走し、命辛々逃げ延びたところは、糸魚川を遡った長野の諏訪湖でした。敗れたタケミナカタは諏訪の地において、追ってきたタケミカヅチに対し、国を譲ることを承知し、自身は今後一切諏訪の地を離れない条件で許しを請いました。その後タケミナカタはその地で祀られ、全国五千の分社を持つ諏訪神社本社の神となって崇められ信仰されています。

◆オオクニヌシの国譲りの決意
息子たちの意見を聞いたオオクニヌシは、国土を高天ヶ原に奉献しました。その際の条件が、葦名中国(注※)は譲るが、そのかわりに出雲に立派な神殿を造って、そこの祭神となって余生を送ることでした。それが今の出雲大社の起源です。

                               【注※葦原中国(あしはらなかつくに)出雲国のこと】
画像
                      出雲大社
画像



使者となって国を受け取る役割りを果たした武神タケミカヅチは、その後茨城の鹿島神宮に剣の神霊として祀られ、またタケミカヅチを氏神とした藤原氏を祀ったのが奈良の春日大社になります。余談ですが、出雲大社に近いタケミカヅチが降り立って戦った稲佐の浜の北側には因佐神社があり、勝負の神様として信仰されています。


◆国譲りから天孫降臨へ

オオクニヌシが国を譲り、高天ヶ原直系の神により地上が平定され、古事記は次のステージである、天孫降臨へと章が進んでいきます。舞台は、オオクニヌシの出雲から、九州の高千穂に遷ります。


以上、雑駁ではありますが、古事記の国譲りの場面のご紹介でした。

次回は、漸く今回紀行の美保神社における特殊神事「青柴垣神事」についてのご紹介となります。





         ※Blog中の画像や写真は、全てわたくしSiSiのオリジナルです。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 8

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス ナイス ナイス
ガッツ(がんばれ!)

この記事へのコメント

Ranchoです。
2019年06月29日 07:32
島根県まで車を走らせ、大祭を見てこられたSiSiさま
帰宅後、旅を思い浮かべては『古事記』を読み楽しまれていらっしゃった姿が眼に浮かぶようです。

日本最古のアコーデオンなどを使用下調べは、いかがなものでしたのでしょうか?
SiSiの記事が興味深かったので、美保神社のHPを拝見させていただきました。
なるほど、想いが広がる由緒のある神社ですね。

大黒舞のページがございますので、リンクさせていただきます。
https://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/ad7e304363f2360f475a9c95fc5b9b9b

さすが!SiSiさま、良い旅をされましたね^^
素晴らしい紀行をご紹介いただき、ありがとうございます。  

この記事へのトラックバック